さくら美研 さくら美研

沖縄で生まれた「顔を洗う水」という奇跡

沖縄の元気な素材を使い、注目を集めるオキナワコスメ。
その第1号は「顔を洗う水」を使った独自のスキンケアを提唱する「カミヤマ美研」。
素肌革命を起こすまでには、さまざまなドラマが隠されていました。

創始者、神山稔朗(かみやま としろう)の奇跡。
キレイを求めた男が人生をかけたカミヤマ美研の舞台裏。
そこにあるのは執念にも近い研究と、惜しみない愛。

沖縄に一人の男がいた。
アイデアマンで周囲の度胆を抜き、その一方で心根の正直なやさしい男だったという。若くして商売に成功し、戦後の沖縄で早くも自家用車を乗り回していた。
そんな男にもちょっとした悩みがあった。顔を青黒く染めるひげの剃り跡、無精髭に見えないように丁寧に整えてはいたが、1日に何度か剃らなければあっという間に髭は顔を被った。足はもちろん、腕、手、背中と、毛深い人の多いここ沖縄でもその姿は目立つものだった。
男らしいとか、ウチナーンチュらしいとか、そんなふうに自分自身をアピールできる個性と思えば、その濃い毛も柔和な顔だちに色を添える程度のものに思えたのかもしれない。
だがその男は抱え続けた悩みを自身で解決すべく研究に没頭する毎日を送り、やがて肌を傷めない脱毛に成功。
さらに惜しみなく女性たちにも美肌の提案をしていくようになる。

自らの信念を貫き、沖縄の産業に一石を投じ
日本、いや世界のコスメ業界に新風を吹き込んだ。

研究は稔朗自身が自らの身体で試しながら行われ、商品化へと進んでいく。自宅の片隅を工場にして生産、その工場では2人の息子が、親父の信念をそのまま形にする生産者として手伝っていた。
現在、稔朗の跡を継ぐ長男・裕健も、次男・卓也も「無謀だなあ…」としか当初は思えなかったと語る。
「奇想天外、独自の発想からのみ生まれたもの。比較対照できるものもなく、常識の範囲を超えていました。手伝いを始めたのもなんとなく。ただ使いはじめると手放せなくなる人が多いことを現場で実感したんです。親父は本当にすごかったのだと、今さらながらに思うのです」

知れば知るほど奥深い、カミヤマの歴史。

一人のコンプレックスが、美肌を実現した。
神に選ばれし者に課された悩みは、情熱によって美へと変えられた。
美のために何でも試す。自分自身の身体でとことん試す。

やがて、マジックが生まれた。

青果店を営んでいた稔朗は、仕入れのため何度も鹿児島を訪れた。沖縄本土復帰以前、パスポートが必要だった時代のことだ。
彫りの深いウチナーチュの顔だちと対照的な、あっさりとした県外の人の顔つき、いわゆるナイチャージラーに稔朗はさらにコンプレックスを深めていったのかもしれない。
そんなある日、鹿児島で通り沿いのショーウインドーに「脱毛ワックス」を見つけ、在庫全部を購入。脱毛ワックスそのものがまだ認知もされていない時代に、藁をもつかむ思いで稔朗は試せるだけ試し続けた。鹿児島に行く機会を得る度、脱毛ワックスを在庫分だけ購入し続けたのである。メーカーの東京本部からなぜ鹿児島だけ飛び抜けた売上げなのか?と市場調査が入るほどだったというから驚く。事情を知った東京本部から声がかかり、稔朗は沖縄で代理店となったほどだった。それほどまで脱毛には執着を燃やした。

復帰の年、昭和47年ころから世界中から脱毛に関する器具類や資料を集め、研究に没頭し始めていく。高価な電気脱毛を試したこともあった。刺激が強く、望むほどの効果は得られず肩を落としたこともある。営んでいた青果店の倉庫は、稔朗の研究所と化した。
脱毛の効果の基準は、すべて毛深い自分自身の身体。痛さも肌荒れやただれなど高刺激による後遺症も、効き目の満足度も、すべて自身の身体が、自身の毛が証明してくれる。細かいデータを蓄積し、やがてその執念は実を結ぶ。松ヤニをベースに、肌をいたわる様々な材料を加えた新しい脱毛ワックスの完成である。人肌に温めたものをぬり固めると、見事なまでに毛がとれた。みるみる毛が薄くなっていく気がした。
稔朗は日がな一日喜びに浸り、脱毛をくり返す日々だったという。
もちろん使った女性たちにも大好評で、この時の成功体験が、稔朗をさらなる製品開発へ駆り立てたのである。

直感と信念が生み出した「顔を洗う水」

その後の稔朗は水を得た魚のようであったかもしれない。ワックス後のケアができるような製品の開発に乗り出したのである。
女性がきれいになっていく姿を見ることは、稔朗にとっても喜びであった違いない。

直感が新たな革命をもたらした。沖縄初の化粧品が誕生!


長男・裕健は語る。
「国頭出身の父は、やんばるの森の比地大滝の水で顔を洗っていた。水がきれいなのはもちろん、その水で顔を洗った女性たちの素肌の美しさは印象深かったようです。それが父の直感とうまく結びついたのかもしれません」
「水へのこだわりはものすごく、情報収集など心血の注ぎようはすごかった」と、次男・卓也。

やんばるの森を潤す比地大滝

稔朗の情熱は燃え続けていた。水の権威、水の研究、水、水、水、と聞けばどこへでも押しかけた。情熱は人との出会いも生みだし、水の研究者との交流も深めていった。

「ミネラルウォーターがおいしいだとか、水を買うだとかの感覚がまったく無い時代に、水に徹底的にこだわればいいものができるとよく確信していたものだと不思議です」と裕健と卓也は口を揃えた。
工場で稔朗に指示されるレシピや製法は謎でしかない。「とにかくこれは上等。親父はそう言うだけでした」

やがて、脱毛前後のケアに使用する「ウォータージェル」が完成。ヌルヌルのやわらかな液体ゼリー状が特長で、不思議な感触のものだった。
ジェルで肌を洗浄、ケアをするという、カミヤマ美研独自の使用方法が確立したのはこの時期だ。

それは、汚れを十二分に取り除き、肌の新陳代謝を呼び覚ますからなのか「肌がきれいになった!」「肌荒れがよくなった」「肌質までよくなった」などという、美肌効果がすごかったのだ。それからというもの稔朗が開発した製品は、美しい肌を得るために使用する人が増えていくこととなる。

平成3年、カミヤマ美研は化粧品製造部門で沖縄初の厚生省認可を取得。顔を洗う水のユーザーが飛躍的に伸びていった。平成11年には沖縄県以外の地域に販売していくための販売会社・さくら美研が東京に設立。稔朗自身が提案するキレイになる方法を惜しみなく伝えていった。

その人気とコンセプトの新しさから、程なくしてカミヤマ製品を模倣した商品も出回ったが、原料だけマネをしても製法のレシピまではついにマネをすることができないままに終わった。それは、同じ材料を使ってもシェフの腕次第で出来上がりがまったく変わってしまう料理に似ているかもしれない。

また、容器に当時は常識だったガラス瓶ではなくプラスチック製を業界でいち早く採用したのも、見栄えを取るよりも軽い上に落としても割れにくい方が合理的で親切だろうという気持ちの表れでもあった。


「とにかく使うこと、何度も何度も行えばキレイになる。キレイは自分自身がだれよりも実感する」それが稔朗の理論であった。
講師となるスタッフにもただただ顔を磨かせた。カミヤマ美研独特の手法を実践、ジェルで顔を洗い続けるのだ。

スタッフには、肌荒れやシミなど肌にコンプレックスを持つ人を採用、彼女らはどんどんキレイを手に入れ、稔朗の研究開発した製品にのめり込んだ。「シミが薄くなった」「アトピーが気にならなくなった」「肌荒れが治った」など、悩みを抱え続けた彼女らの表情はどんどん明るくなったという。

存在するのは惜しみない愛。
使えばキレイになったという事実。


そんな奇想天外の発想、好奇心に満ち、自らの信念にまっすぐ突き進み続ける稔朗の元には、人柄に魅かれ多くの人が集まった。 言葉は少ないけれど、アドバイスをくれ、理解するまでたっぷりの時間を待ってくれるような人で、来る人をこばまず包容力を備えもち、どんな人にもやさしかったという稔朗。 和やかに語りかけていく言葉は、人を魅了する不思議さにあふれでいたのだと何人もの人が愛しさを傾ける。心尽しにも人柄が忍ばれる人で、惜しみなく躊躇なく愛を分け与えてくれる人だったとも、みな懐かしがるのだ。思いもよらない発想に度胆を抜かれた逸話も数多い。

稔朗にとって美を追求するということは、悩みを抱える人々の助けになるために神から課せられたものだったのかもしれない。
彼が懸命になって研究開発した製品は、今も多くの人を魅了し続け、多くの人の肌を甦らせている。

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